花蜜糖 / Nectar Sugar

カンボジア

「椰子の花蜜が収穫期を迎えました。花蜜糖作りを一度観に来ませんか?」 カンボジアから届いた一通の便りに誘われて、私達はすぐさま現地へ飛んだ。

ジェラートや焼き菓子、料理に至るまで、FAR EASTの商品開発は白砂糖を一切使わずに行われる。椰子の花蜜糖は私達の商品造りにおいて無くてはならないものだ。

そもそもの出逢いは、代表取締役の佐々木がJETROの講演依頼を受けてカンボジアへ赴いた際、椰子の花蜜糖を偶然目に留めたことが始まりだ。

そのあまりもの風味と香りの良さに魅了されて、直ぐに輸入が決まった。しかしながら、収穫風景や製造工程は未だ誰も目にしたことがなかったのである。

あの芳ばしく甘美な花蜜糖が一体どのようにして出来るのか、自分達の目で確かめない訳にはいかなかった。

カンボジアの首都プノンペンへ到着すると、生産者の面々が私達を出迎えてくれた。

カンボジアの伝統的な食文化である椰子の花蜜糖やその関連商品を製造する彼等は、農家のコミュニティに衛生指導や技術支援をはじめ、英語教育の機会を提供してエンパワーメントを行う傍ら、提示した買い取り額を守り、高価格で買い取っている。小規模農家の収入源として有益なオーガニックの栽培を推奨しながらも、オーガニックの生産工程を厳密に守って貰えるように無理な発注量を出すのではなく、生産量を上げる仕組み作りに尽力している。

途絶えつつあるカンボジアの伝統文化を護り、継承し、発信していくこと。

その伝統をイノベートして新しい形での商品開発に取り組む理念は私達にも共通するところが多い。日本への輸出はFAR EASTのみで、その殆どはドメスティック市場への流通である。逸る気持ちを抑え、彼等と共に早速産地へ向かった。

喧騒に包まれたプノンペンの中心街から一時間。

郊外に続く畦道へと少し外れてみれば、風光明媚な田園風景が広がる。草木が輝く田畑の中にすっくと天高く伸びる椰子の木々と、その下で悠長に白い牛達が草を食む長閑な景色。日本人であれば誰しもが何処か懐かしさすら覚えるような、何ともノスタルジックな光景が見られる。

椰子の花蜜糖は、3つの村の42の農家から集められる。

その内の一つ、今回我々が訪れた村では12世帯が花蜜糖を作っている。椰子の花蜜糖の元になるBorassus flabelliferという品種の椰子は、カンボジアではThnot(スノット)と呼ばれ、カンボジア全土で300万程が自生しており、旧くから家庭的に花蜜が作られてきた。

収穫期は1月~5月にピークを迎え、蜜が採れるようになるまでは約20年も掛かる。一本の木からは一日で8~10リットルの花蜜が採れる。この花蜜を搔き集め、1000リットルを煮詰めてもたった80kgの花蜜糖にしかならないというのだから、どれほど贅沢なものかということが分かる。

はにかんだ笑顔で暖かく我々を迎えてくれたのは、農家のマントンさん、チョムリクさん。花蜜糖を煮詰める作業は道路脇の砂埃が舞い散るような汚れた地べたで行うのが一般的だが、此処では各農家に作業場の地面をコンクリートにして貰うように統一しており、不純物が入らないように作業前に必ず地面を水で洗浄することを徹底している。

椰子の木には雄と雌があり、花蜜が採れるのは雄の木から。

口数少なくシャイなマントンさんが、腰から何本も竹筒を吊るし背中に鉈を括りつけると、よし、瞬きせずによく見ておけよ、と言わんばかりに椰子の木に添えた一本の竹の枝に足をかけながら、誇らしげに、そして器用にひょいひょいと登って行く。

朝と晩、一日に二度、25~30本程の木に登るという。一本の全長が15~20mと考えると、一日で実に1000m程も登っている計算になる。

椰子の雄の木から伸びる雄蕊の部分に鉈で切り込みを入れ、その切り口に腰に括り付けていた竹筒を括っておく。染み出すようにゆっくりと滴る蜜がその中へ一晩かけて溜まる仕組みだ。

朝には前の晩に仕込んでおいた筒を回収し、晩に登った際には朝仕込んでおいたものと交換する形で空の竹筒を設置する。

此処で忘れてはいけないのがPopel(ポペル)という植物の存在。

この木の皮にはタンニンが多く含まれていて、その成分を利用した謂わば自然の発酵抑制剤のようなもの。
椰子の花蜜は発酵が非常に速く、このPopelを蜜の採集の際に竹筒に一切れ入れておくと、その発酵を緩やかに留める事が出来る。花蜜を煮詰める段階で取り除いたPopelは燃料として再利用。使えるものは最後まで無駄なく有効活用だ。

ちなみにこのPopelまでもが、オーガニック認証を受けている。

椰子の木から降りてきたマントンさんが、私達に搾りたてのフレッシュな花の蜜を振る舞ってくれる。液体のままで味わう花蜜の味は、あっさりとしたサトウキビに似た仄かな甘さで、後からふわりと青草のような香りが残る。この時点では私達の良く知る芳ばしく深い甘さの花蜜糖へどのように姿を変えるのかまだ想像が付かない。

小さな枝葉などの不純物を取り除いて綺麗に漉した花蜜を大鍋に注ぐ。石窯に薪をくべて、木のヘラで周りが焦げ付かないように灰汁を掬いながら、ひたすら煮詰める。ただでさえ気温も湿度も高いジャングル。小屋の中は湯気と熱気がもうもうと立ち込め、そこに立っているだけでも汗が噴き出す。

まさに茹だるような暑さ。額から流れる汗を拭いながら混ぜれども、まだまだあの花蜜糖の姿には遠い。三時間も延々と煮詰めてようやく水分が飛び、ねっとりとした半固形状になる。

飴状になるまで煮詰めた花蜜を今度は撹拌していく。

木製の撹拌機の棒に括られた二本の紐を交互に引くことによって下部のヘラが蜜の中で高速で回転し、一時間程で徐々に徐々に空気を含みながら白く固形化していく。

段々と液体が固形化するにつれてヘラの回転は鈍くなり、紐を引くにも全身を使って綱引きのように重心を後方にかけないとヘラは回らなくなる。汗でシャツの色がすっかり別物に変わる頃には、気が付けば芳ばしい香りが辺り一面に広がっていた。

ペースト状に変化した花蜜を、椰子の実の殻を擦り棒代わりにしながら鍋の側面に丁寧に満遍なく塗り広げていく。

全て広げ終えたらもう一度崩し、また広げていく。もっと利便性の良い道具があるのでは…?と思わなくも無いのだが、葉から枝から椰子の木の恩恵を余すこと無く享受するのが、昔から変わらないクメールの文化なのだろう。そういえば花蜜を煮詰めるための燃料も椰子の葉、鍋を掻き混ぜる棒も椰子の木の枝であった。

粗熱を取りながらこの過程を何度も何度も繰り返すうちに、次第に粉末と化す。これがやってみると結構な力が必要で、粘り気が無くなりほろほろとした粉末になりつつある花蜜を満遍なく広げるのは至難の技だ。

陽の下、トレイに粉末になった花蜜を敷き、薄い布で覆って乾燥させる。

出来立ての花蜜は口に入れると細雪のようにふわっと繊細でたちまちに蕩けてしまう。あれだけの地道で大変な作業の疲れを一瞬で忘れて、みんなで顔を見合わせて頬をほころばせてしまうほど、これが本当に美味しい。

キャラメルのように芳ばしく、上品でエキゾチックな甘さは唯一無二の味わいだ。大人気無くおかわりを何度も口に運んでしまう。

こうして農家から集荷した花蜜糖は工場で、もう一度乾燥機にかけられる。

60度で6時間稼働させて350kg、水分2%以下になるまで乾燥させる。此処からは検品の工程だ。花蜜糖の検品は見ているだけでも気が遠くなる程に果てしなく、集中力が要る。紙のしおりの様な物を使い、一粒一粒その角にくっつけるようにして手作業で地道に細かな塵を取り除き、一人が一時間検品してようやく4kgの花蜜糖が完成する。

工場を見渡すと働く従業員は20~30代と全員若い。 街中でも所謂、団塊の世代はあまり見かけない。現代のカンボジアの労働力を担うのは青年たちだ。

クメール・ルージュと恐れられたポルポト政権下での大虐殺や強制労働などにより、推定170万人近くもの罪なき国民の尊い命が無残にも散らされた。その傷は歴史に深く刻まれ、今も完全に癒えてはいない。プノンペンには東洋のアウシュヴィッツと呼ばれる処刑場や収容所が今も残されている。そこに何百、何千と積み上げられた物言わぬ骸骨は「医者だから」「教師だから」「眼鏡をかけているから」「手が白く柔らかいから」そんな謂われも無い理由のために命を奪われた者達だ。

私達が今回の旅で出逢ったカンボジアの人々は、総じて穏やかで心根優しく勤勉だ。

大虐殺の憂き目に遭って、まだたったの30年。一時は根絶やしにされた文明も経済も、人々の尽力あって驚くべき速さで再興し始めている。親や祖父母を失っているかもしれない、そんな彼等が真っすぐな眼差しで懸命に働く姿には、日はまた必ず昇るのだという希望を確かに感じた。

この国の一層の復興と未来を願わずにはいられない。

農家から工場の検品に至るまで、何から何まで人の手と時間をかけ、心を尽くした椰子の花蜜糖。私達は今日もこの日本でその魅力と彼等のストーリーを伝え続ける。

筆:阿部香澄