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できないことが、できるようになるということ FAR EAST Inc. Blog

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FAR EAST の田辺です。

抜根したお茶の木の根がなかなか、かたずかずにいました。

そこで登場したのがこのユンボ。

運転したことはありませんでしたが、やってみればできるものですね。

これを発明した人はすごいと思います。

一気に仕事が進みました。

できないことが、できるようになるというのは大切なことですね。

このことについて、以前、YOU TUBEで株式会社植松電機の植松氏の講演を拝聴して感銘をうけたので

ここでもアップしておきます。

決めつけないこと。できないことができるようになる分、お金がかからず、人の役に立てること。

できないことが、できるようになる分、世の中がよくなっていくこと。

できるようになるように、みんなで応援しあうこと。

とても、感動した講演でした。

TED_株式会社植松電機 植松努氏

自分も、無知な分、面白みが増す人生を生きたいと思います。

相棒がいず、一人作業だったので載っている写真を摂り忘れましたが次回はぜひ。

なれない機械で、エンジンを切って改めてかけようと思ったらセルが回らず苦戦しました。

バッテリーも大丈夫そうだったので、近所にお住まいのお世話になっている青木産業様の中村さんに問い合わせたら

忙しい中、飛んできてくださいました。

本当に感謝です!!

中村さんはもとは、大手自動車会社の工場長だった方で

今では、農機具を扱う青木産業さんで働かれている一方で、

飯能のマチュピチュといわれる山の奥の方で、農業もされている方です。

とてもとても親切で丁寧に機械について教えて下さいます。

失敗もありますが、いずれにしても挑戦は楽しいですね!

それにしても飯能のマチュピチュの写真は次回、掲載します。

あそこの景色は美しかったです。
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根っこに教えてもらう FAR EAST Inc. Blog

大麦の根

FAR EASTの田辺です。

今日は根っこに教えてもらったことをテーマに投稿します。

「自然を先生にして自らの判断力を培う」

自然栽培を成功させるうえでとても大切なことだといわれる。自然を先生にするといっても、さまざまある。そのひとつに観察することがある。だれかの教えに従うのではなく、目の前の野菜、土の姿からヒントを得るというものだ。

どんな偉人でも間違うこともある。場所や人が変われば、農業スタイルは同じというわけにはいかない。自分の責任で行う農業である以上、自分自身が観察し、次の行動を判断する必要がある。

というわけで、今、栽培している目の前の麦を見てみる。

育ちのいいところと悪いところがある。地上部だけではなく、麦の根を見てみた。

肥料・農薬を使わないわけだから、目で育てるという言葉のとおり、しっかりと観察してみる。

それが上記の写真だ。しっかりと大麦が根を張っている。種まきから50日ほどが経っている。

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上記のように育ちのいいところと悪いところがある。開墾仕立てだから栽培前の状況の影響を強くうける。ここでいえば、左は茶畑。右は草畑。お茶の木の後は、麦が全く育っていなかった。播種から1ヵ月以上、経って差が明確になってきている。改めて下を見ようと土を掘る。

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奥が茶畑。手前は畑だったところ。奥の部分で麦の育ちのいいところは、大家さんがお借りする前に大家さんが木灰を播いていたところ。

それぞれの場所の麦を掘り起こしてみた。

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炭がまかれていた場所(左)お茶の木の後(中)畑だったところ(右)

同じ一枚の畑でもこれだけ違う。真ん中の小さな麦はお茶の木の後。葉の色も淡い。多くの場合、生育中にこそ、土を掘ってみるべきと九州の自然栽培農家、川越俊作氏より学び、自分でも実践してきた。多くの現場で感じたことだ。ここでも掘ってみると、物のみごとに違いがでた。

茶の木の植わっていたところは、麦が根をはれていない。細い白根もほとんどなく、ぶつぶつと切れた感じになっている。地主さんが炭を播いてしまった場所がある。そこは、水分を保つことができたのかよく育っていた。(左)肥料を与えたかのように緑が深く、麦の丈が最も長い。根はもちろん豊かだ。次に炭を播いていなくて、お茶の木ではなかった畑だったところの麦を抜いてみてみた。それが右の写真。

抜いてみて驚いた。やっぱりという感じだったが、根の張りが違う。たくましく細かく、しっかりと根が張っている。

炭を与えた方は、水分を保つことができたのでしっかりと麦が育ったことが想定できる。しかし、麦は土中に水分があるので必要以上に根を伸ばす必要に迫られない。だから丈は伸びるが、根のはりは炭をやらない場合に比べると葉の丈よりも短い。

一方で、炭を与えない方の麦はたくましく育っている。炭にもなにも頼らない分、根がしっかりと水をもとめて育ち、細かな根をしっかりと蓄えている。

土づくりという観点からすると、こちらの根が張っているほうが当然、のちのち腐植が豊かになっていくことが想定される。

次にこちら。

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両方ともに育ちがわるい場所の麦だ。片方はこれまで畑ではなく、草原だったところ。片方はお茶の木の後。さて、どちらが草原の後で、とちらがお茶の木の後かわかるでしょうか。

そう。お茶の木は下。草原の開墾した後が上になります。お茶の木の後はやはり、根を伸びることができていない。あまりにも未分解なお茶の木の根が土中にあること。抜根後、今回はやむを得ず、すぐに播種したので、もろにこの影響がでた。発芽時に水と温度が奪われたという決定的なことが起きてしまったこと、が考えられる。一方で草原だったところは、畑ではなかったので、正直、作物をいきなり植えるには厳しい条件だったことが想定される。しかし、麦の根はしっかりと伸びていた。当然といえば、当然のことだが、播種前の環境をどれだけ整えるのが大切かということがわかる。

お茶の木の根はしばらく残ることが想定されるので、もう少し根の強いものを植えること、客土をすること、燕麦を密植すること、果樹を植えることなど、試験的にいくつか春に実験しようと思う。

いずれにしても、こうして掘ってみて改めて自然栽培の原理原則を目の当たりにする。

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つぎにこちら。それでも偶然かもしれないとまだ疑いながら、お茶の木の後で同じように生育の悪い3か所を見てみた。左の写真のようにすべて根がしっかりと晴れていなかった。いかに未分解のものがあると根をはれないか。特に畑作物の麦は木の根は強すぎるといえる。山と畑と田んぼは環境が違うことがわかる。お茶の木はやや山に近く、それを畑にしていくにはどうしても時間がかかる。地域でもお茶の木の後は3年は作物が取れないといわれる。一般的には酸性だからといわれるが決してそれだけではないように思う。

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右側の麦だけが、前作が、草原だったところの麦。やはり根の張り方が違うのが印象的だった。

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左から1番目と3番目は畑だったところで、一番根の張りがいい。2番目と3番目は炭がまかれていたところ。5番目は開墾まもないところ。

自然栽培の場合、理想とされる土は「あたたかく・やわらかく・水もち水はけのいい土」である。

この条件は、土の中の過剰な養分を取り除き、一方で腐植が豊かになってきたときに整う環境だ。こうした土を目指すわけだが、作物が育っていないとき、この逆のことが起こっていることになる。

お茶の木の後とそれ以外の差も、面白いが、炭のあるところと、ないところの差もおもしろかった。炭がある方が、上に伸びているが、根がしっかり張れていない姿は印象的だった。

自然というのは面白い。以前ある農家に自然界は寸分も狂わないといわれたが、この部分に関してはそうだった。

自然栽培においては、「山は山・畑は畑・田んぼは田んぼ」という格言がある。

自然界といっても多様であって、野山の姿だけを自然と考えがちだが、自然界には畑もあれば田んぼもあり、水辺もあれば川辺もあれば海辺もある。そしてその場その場に特性がある。人と畑の数だけ農業のスタイルがある。

その特性を無視して栽培したとしてもうまくはいかない。肥料・農薬を使うのであればまだ補えるが、肥料・農薬を使用しない自然栽培ではその環境の影響をより大きく受ける。

開墾してすぐに畑になるかといえば、やはりそうではない。しかし、時間をかけてここも畑にしていく。その時間を少しでも詰められるよう、さまざま試験を続けたい。

開墾!田畑を清浄に保つことは、日本の文化 FAR EAST Inc. Blog

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FAR EASTの田辺です。

今日は日本の自然農法について文化をテーマに寄稿します。

自然栽培や自然農法、自然農、有機農業の本来の理念にみられるように、それぞれに哲学をもち、自然の力を尊び、肥料や農薬に頼らない農業が、日本に乱立している。まったくもって世界的にみても、稀有なことだといえる。これは誇りに思うべきことだし、日本の文化に深く根差したことだと考える。

自然栽培、自然農法、自然農をはじめとして、自然とともに生きる農業は、「日本の文化」なのだ。

なぜなら、こうした農法が出現する土俵が日本にはある。

田畑はそもそも清浄な場所だった。いなかでは毎年正月に、田畑から神様を家にまでお招きする行事があった。そこには、まぎれもなくかみさまがいたのだ。

弥生時代以前には、田畑は生きる糧をいただく神聖な場所で田畑を糞尿で汚すことは忌み嫌われていたという。日本人は、神社にいけば、手を洗う。場を塩で清める。そして何よりお風呂の好きな国民性だ。清潔を志向する背景には、罪穢れを払うことにつながるさまざまな風習、文化がある。

そして、大自然のどんな場所にも神様、精霊がいると考えて尊んだ。太陽をみれば、かしわ手をうち、おてんとさまと親しんだ。日本の親たちは子どもを躾けるときに、「おてんとさまがみてるよ!」と叱ることがあった。それほど、太陽を大切に思い、その力によって生かされているという感覚がリアルなものだった。太陽は我々の命を左右する存在であることが明白な時代だったのだろう。

そして月をみれば、その美しさをめでた。おつきさまと親しみ、月のみちかけに事細かく名前がつくほどに、月を愛した。月と潮の満ち引きや、生命の誕生が密接に結びついていることを私たちの祖先は知っていた。

あめつちをかためてつくられた大地、地球。たとえば古事記にはイザナギ、イザナミが土からカミ生み、クニ生したと語られている。古来から土は生命の源、いのちの生まれいづる場所だった。お天道様、お月様、母なる大地(あめつち)の交わる調和の中で、生命が生かされている実感をかつての人はもっていたのだろう。

「トイレの神様」という歌が流行ったが、穢れやすいトイレのような場所をきれいに保とうとする行動、習慣がわれわれの感情を打つのは、場を清浄に保つことが日本人のDNAに深く刻まれているからだと思う。

現代の日本人の中にも、こうした場を清浄に保とうとする感性は、自ずと備わっている。田畑においては、言わずもがなだった。だからこそ、肥料や農薬を使わない自然農、自然農法、自然栽培が雨後の竹の子のように様々な場所で輩出される。当然、さまざまな提唱者・実践者がいる。これは、われわれ日本人にとっては、ごくごく当たり前の感性であり、清浄な土を失って久しい我々が、無意識のうちに、その原点を取り戻そうとしているかのようだ。

なにも使わないから自然そのものの力が発揮される。無から有を生むという、なんとも魅惑的な農業。見えないコトワリに対する興味、自然界のしくみを解き明かすかのような挑戦だ。

一から十まで徹底的に極めていこうとする日本人の職人気質は、さまざまな物事の中に神や仏がやどると考えたり、亡くなった祖先を敬ったりと、見えない存在を尊ぶ文化的土壌と無関係とは思えない。

田畑を清浄にし、水をきれいにたもち、地下水を汚さない、そんな農業の一つである自然栽培にFAR EASTも挑戦する。

まずは開墾からスタートだ。開墾することにより、まさに「魂が土に宿る」と農家は言う。それほどに大変な仕事だが、大変だからこそ農家の汗と思いが積もるのだろう。われわれFAR EASTは、まず大麦とブドウの自然栽培をはじめる。大麦は土作りを兼ねて栽培し、ビールの醸造につなげる。最初に品種の選定からはじめていく。地域の方々ともに、このプロジェクトは世界を視野に始動していく。

埼玉県飯能市南高麗一体で、南高麗と飯能市の方々の多大な協力を得て、プロジェクトが進んでいる。飯能市の市を隆盛しようとする情熱はすばらしいものがある。飯能市は山林が多く、大面積の畑は少ない。茶ノ木を抜根したり、耕作放棄地を開墾する必要のある場所からもはじめることにした。もちろん畑として利用されていた場所もあるが、様々な場所で型をつくっていく。

畑は飯能市南高麗の複数の地主さんからお借りすることになった。農業委員会、農林課の方々に御配慮をいただき、地主さんの御理解をえてお借りできることを、心より感謝する。

いにしえに思いを馳せて、この目の前のタフな仕事を進めていく。

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お茶の木を抜根することに。お茶の木のあとは、肥料を多様することが多く、酸性が強い畑になることが多いというが、地主さんは肥料を使っていなかったのでその心配は少ない。小川が側をながれていて、土を掘るとすぐ石が上がってくる場所だ。施肥がされていたとしても、それなりに流れていてくれた場所だといえる。それよりも、茶ノ木の根っこを取り切れるわけではない。当面は、野菜を育てるのはむつかしい場所だといえる。田んぼは田んぼ、畑は畑、山は山といわれるが、生物環境や土壌の性質がまったく違ってくる。肥料を使わない自然栽培ではこの違いを無視することはできない。水辺の稲わらが、陸地に運ばれて土に返ることは自然界では起こりにくい。どうしても、無理が起きてくる。それでも、やると決めた場所では手を打っていく必要がある。時間をかけて試験的にも取り組んでいく。

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竹林の近くは竹の根が入ってきていて大変。その生命力はやはりすごい。

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FAR EASTとは震災のとき、東北にキャラバンで物資をともに運ぶときからのご縁の望月さん。土木業をされているので、飯能市岩清水に建設中のレストランの基礎工事も委託している。この開墾も一声で飛んできて下さり、抜根、さらには竹の根を溝を切って縁切りした。

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抜いたお茶の木は山になった。これはほんの一部。畑の土はまだ山に近い状態と想定されるが、まずは土作りをスタートさせることを優先。

農業委員会の会長、吉田さん自ら、トラクターで畑を耕してくださった。自分たちのトラクターが間に合わなかったので、耕耘を買って出てくださった!お人柄で、感謝に堪えない。

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最近購入されたトラクター。まだほとんど使っていないのに、処女航海がFAR EAST NATURAL FARMING になった。

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どんどん進む。畳みが草を押さえるのに敷かれていた後があり、朽ちた畳みの糸がトラクターの刃に絡まってしまった。

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きれいに耕していただいた。

4,5日たった畑。そしてこの畑に種を落としていく。

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木内酒造にビール醸造体験 FAR EAST Inc. Blog

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FAR EASTの田辺です。

今日は木内酒造でのビール醸造体験についてお話しします。

11月19日(木)

茨城県那珂市の木内酒造の手造りビール工房を訪問し、ビールの醸造体験をしてきた。Far Eastでは、ビール醸造を手がけ始めている。

先日、バイヤーがニュルンベルクでビールの醸造設備を買い付け、醸造免許の取得に向けて着々と動きが始まっている。ビールの歴史は古く、そのバリエーションの豊かさ、幅の広さには改めて驚かされる。

木内酒造は、文政6年(1823年)に創業された酒蔵だ。日本のクラフトビールは、酒造の蔵元がその知恵を生かしてビール醸造に取り組むことが多い。また近年、世界のコンテストで高い評価を得ている日本のクラフトビール。日本人のものづくりへのこだわり、繊細さを物語るものともいえる。日本でのビール醸造は海外からブルワーを招へいして、ブルワリーの立ち上げを行うのが通常。それも検討してはいるが、自分たちがまずは知見を深める一環として訪問させていただいた。

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木内酒造は、醸造設備を部品からすべて組み立てられており、国産の大麦とホップで醸造されている。さまざまな先達がいる。木内酒造自慢のホワイトエールを作ることにした。

大麦と小麦を指定の比率で混ぜ合わせ、粉砕し、55℃のお湯につけて温度を67度まであげて澱粉の糖化を進める。糖化が進んだら加熱して、糖化を終わらせる。溶液を循環させる。釜の中で層になって沈殿しているモルトの中に、釜の下のコックを絞って流れ出た溶液を器に受けて取り上げ、釜の上部から、また注ぐという循環を繰り返す。これによりろ過が進んでビールの元が徐々に澄んだ色になっていく。レシピ通りに選んだ3種類のホップを計量する。麦汁を100℃に加熱して殺菌する。そして計量したホップを順次加えていく。最初は苦味のため。あとは香りづけのため。一定時間おいて、麦汁を冷却し、酵母を加える。ここではイーストを使う。5日から7日、醗酵させ熟成に倍の時間、10日から14日。作るビールのアルコール度数を高くするときは醗酵期間が長くなる。今日は、この仕込みまで。

約3週間後、ビールが届く。ラベルは自分でデザインを持ち込むこともできるし、現場で作ることもできる。ご一緒した男性は、この仕込みでできたビールをプレゼントするのだそうだ。出来上がりは45本ほど。今から出来上がりが楽しみである。

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空気が動き、水がうごく FAR EAST Inc. Blog

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11月18日(水)

朝、畑に立つと、土が息づいていることを感じる。

もっとも美しい時間。

この土の生気とも、いうべきものが、しっかりと培われ、さらなる力をおびてくるよう人としてしっかりと役割を果たしていきたい。

自然土木の矢野智則氏は、空気が動くことで、水がうごくという。

朝、南高麗の山間にたなびく霧をみて、空気と水が、土のなかと空気中をいったりきたりしていることを感じる。

潮の満ち引きで海水の水位が上下するように、月の動きや気圧で土中の水分も上下するという。

その動きが、円滑になるように人としての手を施していくことがある。

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麦

今朝はなんだか絵に書いたような澄んだ空気だった。

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11月16日、とにかく快晴。 FAR EAST Inc. Blog

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色の違い FAR EAST Inc. Blog

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手前はこれまで草が生えていただけのところ。奥は畑として利用していたところ

11月13日(金)

続、環境が変われば生育が変わる。。。

上記も、畑として使っていた場所と、使っていなかった場所では、大麦の生育が違っている。大家さんの中嶋さんも、なんでだろう、不思議だねっていっていた。

どのように使われてきたかで確かに表情が全く変わる。たとえば、二枚の田んぼがあって、

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こちらも左側は、お茶の木が植わっていた。右は、コスモスなどの草が生えていた。これほどまでにかわってくる。

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奥の方が色が淡い。これは、茶ノ木のあった場所。

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別のアングルで。奥のほうが少し淡いのがわかっていただけるだろうか。

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電気柵、営利進行中である。

ペースメーカーをつけた方は触れないほうがいい。交流なので、感電死することはないという。ヅンという痺れが走る。動物はこのショックをいやがるという。

中嶋さん曰く、鹿はただの柵だったら1m50くらいは簡単に超えてくるけど、電気が流れると磁場を感じて、100から150くらいでも飛び越えられないという。

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中嶋さんの畑がほぼ片付いてきた。よかった。

今日は高嶋さんが、新宿ルミネ店へのヘルプに行く事になっていたが、出発の前に立ち寄ってくれた。そして商品部長の須田さんも忙しい仕事の合間に応援に駆けつけてくれた。感謝!

女性陣の農作業に対する真剣さが、地域の方々にとって刺激になっていることを感じる。

南高麗の歴史 FAR EAST Inc. Blog

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11/12(木)

大家さんでもある中嶋さんが、南高麗の歴史書を三冊くださった。ご近所の方々の御支援、お声がけ、ご感心に感謝だ。本当にありがたい。

飯能市の南高麗はお隣の日高市の高麗郷と同じく、かつては高麗郡と称せられた。高麗は読んで字のごとくだが、通例では高句麗とよばれた朝鮮半島からの渡来人と縁がある土地だ。668年、高句麗が新羅と唐の連合軍に滅ぼされたあと、日本に使者として派遣され滞在していた高句麗王族の若光は、そのまま日本に落ちのびた。日本の朝廷と朝鮮半島は、古代、今よりもっと密接だったという説がある。716年、各地に散った高句麗の人々を日本の朝廷が、武蔵国の現在の高麗郷に住まわせた。若光に外国の王族としての地位を与えその土地を収めさせたのだ。人々は開墾し生活を始める。それ以来、1,300年、この地域には人が耕作してきた歴史がある。飯能市の南高麗も、そのとき、移り住んできた人たちが開いてきた場所なのだそうだ。
その後も、南高麗地域には時代ごとに、源氏や武田氏の落ち武者が流れ着くことが多かったと地元の方々がいう。飯能、高麗郷付近は、秩父への通り道で、顔振峠(こおふりとおげ)という峠があり、源義経に由来するという説がある。秩父へ向かって通う道すがらあまりにも景色が美しいので、顔を振りながら馬で峠道を歩んだのだそうだ。古に思いを馳せながら、この地の土に手をいれる意味が私たちの中で深まっていく。

世界をまたにかけてきたFar Eastは、文化的であること。異文化の交流、尊重を一つのコンセプトにしている。いにしえの異文化が混ざり合ったこの土地にも、さまざまな縁、できごとがあったことだろう。

この南高麗で農業をさせていただこうと決意したとたん、いろんな話が動き始めた。古民家に住まわせていただけることになったり、農業委員会と南高麗の方々が積極的に協力して下さり、農地をお借りすることが円滑に進んで、開墾に協力してくださる業者さんがいたり、大麦の播種に間に合った。さらには、本社屋の大家さんが使わなくなったトラクターをゆずってくだっさった。さらにさらに、いろんな話が進行している。自分の想像以上に話が回転していくが、その回転のスピードに合わせ、それ以上にそのうねりを前へ進める実行力が今、必要だ。

話は元に戻る。南高麗での開墾、自然栽培で土をきれいにしていくこと。昨今、相容れないことの多い隣国だが、いにしえの因縁が少しでも解き放たれればと願いを込め、土を清浄にしていければと思った。

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中嶋さんからいただいた郷土資料

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ご近所には、野口種苗研究所 FAR EAST Inc. Blog

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11月10日(水)

野口種苗研究所をご存知だろうか?

野口 勲さんは、埼玉県飯能市で代々、種苗店を営んできた方だ。20年前に埼玉県飯能市で、畑をやっていたころから活動は存じ上げていた。改めてFar Eastに入社して、埼玉県飯能市に移ってきたが、久須美の本社から1本道でわずか1kmほどのところに店舗と研究所があった。これから植え付けるライ麦の種を購入する必要があったので、お店を訪ねた。すると、以前より貫禄のある野口さんがいらした。ご挨拶をして御話をした。

20年前と変わったことは、本を出されて有名になられたのは言うに及ばない。ほかにも私も自然栽培に取り組んできたが、野口さんも無肥料の自然栽培の種を野口さんも扱いはじめられていることがあった。店頭には、nicoさんの通信が置いてあった。20年前にお会いした時も、手塚治虫さんのお話を熱くされていたことを思い出す。手塚さん担当の編集者だった野口さんの話を食い入って聞いた。火の鳥のようにいのちは綿々とつながれている。

店頭には、みやまこかぶや、日本ほうれん草などの固定種の種がならぶ。ここからどれだけの自然栽培農家、有機農家、篤農家のもとに固定種の野菜の種たちが巣立っていったことだろう。

種を取ることは、文化として農業を伝承していくことにつながる。その過程で、その時代に必要な形で育種され、選抜されて、種はある意味淘汰され洗練される。農業の現場において、種はどんなにいい種であったとしても、作り手が変われば、その畑で農家自身が種取を改めて続けていかないと、いい種にならないことを野口さんは強調されていた。なにせ、固定種といえどほとんどが海外産なのだし、固定種はどうしても品質がバラつく。それを補正するのに農家独自の自家採種はかかせない。

種はときに生命の深遠さを教えてくれる。とても、いのちの深さを語るには足りないが、私も経験させてもらい、目の当たりにしてきたことがある。同じ農家で土質が同じでも、人が変われば全く生育が変わることすらあった。種と人と土との三つの結びつきは我々が想像する以上に、強く関連している。

種を採ること。

その土地、その家に代々、種が受け継がれていくこと。必要に応じて、母本が選ばれ、育種されていく姿はまさに文化と風土を反映している。自然栽培においても、自家採種はなくてはならない取り組みだ。自然栽培の畑で、肥料も農薬も使わずに何代も育てることで、種はその肥料や農薬を使わない環境にあった種になっていくとともに、もともとその種が育つプロセスで使用されてきた肥料や農薬が種の中にも残っているわけだが、それが抜けていくことになる。これが抜けていかなくては自然栽培の魅力は出てこない。農家が自分で種を取ることは、作物の一生と向き合う上でとても大切なプロセスだと感じる。そのきっかけを、与え続けてきた野口さんには頭が下がる。

野口さんに、Far Eastが自然栽培をはじめること。農業部ができたこと。地ビールをつくるべ大麦の栽培をはじめていることをお話した。飯能市の久須美や南高麗周辺ではFar Eastがなにかをはじめたこと、地ビールをやるらしいぞといううわさ、それに岩清水という市で一番の景勝地にレストランを立てることで人づてに噂が広まり始めているようだ。野口さんも、耳にはされているようだった。現在、お店を任されている担当の方とも、懇意に話をさせていただいた。大学が、同窓だったことが判明した。縁はまたつながっていく。種を起点にした取り組みも、ここ飯能市でも、改めて展開し、ゆくゆく世界に向けても発信していこう。

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ビールは自由だ FAR EAST Inc. Blog

11/10(火)

雨の中、電気柵の設置を急いだ。

携帯の調子が悪く、今日は写真がない。

だから社内で行ったベルギービールの試飲会の模様と先日の大江戸ビール祭りの模様とをご紹介。

社長の佐々木は、現在ドイツのニュルンベルグへ、ビール醸造の設備を買い付けにいっている。言うが早いか、やるが早いかという決断即、実行が佐々木のモットウ。2016年夏にはオープンする埼玉県飯能市の岩清水という景勝地で川にそってそびえる崖の上にできるレストラン。このレストランに第一号のビール醸造所が併設される。いつの日か、自然栽培の原料を使って、自然発酵されたビールをご案内したい。

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先日のベルギービール、自然発酵ビールの試飲会。外観とボディとアロマとフレーバーを評価し合った。途中から、お酒に強い女子社員諸氏の飲み会風になっていた、と思ったのは私だけではないはず。しかし、ランビックの各ビールの個性豊かで自由な発想はとても刺激的だった。

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11月3日(火)大江戸ビール祭りには、クラフトビールで世界の賞をとっているさまざまな醸造所が参加されていた。ご縁をいただいたブルワーも出店されているということで、駆けつけた!一日にこれほどたくさんの種類のビールを飲むこともそうそうないので、いろんな違いを堪能できて勉強になった。というよりも、ビールは自由だ!それを感じたイベントだった。

とくにベルギービールに自由さを感じるが、ドイツは厳格ななかにさまざまなカテゴリがある。その背景には、御存知のとおり「ビール純粋令」がある。1516年にバイエルン公国のウィルヘルム4世が定めた法律をドイツは今でも守っている。ビールに使う原料を、ホップと大麦と水のみとしている。さらには価格を固定して、安価に庶民に届けることを目的としてきた。

当時、粗悪なビールが多かったため、その品質を維持し、庶民に給与として支給されていたビールの歴史にもあるように、ビールを安価で安定して庶民に供給しようとした。素材を絞って価格を安定させることで技術研鑽も進んだ。食糧不足だったため、食料用の小麦をビールに使わないように制限をかけるためだったともいう。小麦を使うことは一部の人にしか許されなかった。ヴァイツェンビールがそれにあたる。希少で、高価なもので、貴族ビールといわれるようにもなった。

そんなドイツのお隣の国なのに、ベルギービールはとにかく自由。ランビックの自然発酵はなによりおもしろいが、それに加えて、チェリーを浸して発酵させたり、ランビックにさまざまなフルーツを浸して熟成させたり、古いビールと新しいビールを混ぜたり、砂糖とカラメルを加えたりと、日本では発泡酒に入るものも多いのだろうが、この自由さはドイツと比較してとても面白く感じる。

FAR EASTとしても、自分たちが作りたいものを、市場のレベル・ニーズを知った上でしっかりと作ろうということを確認する会となった。

昨今、日本のビールやワインが世界で評価されている。Far Eastは世界をたびして思うことが多々ある。この国の人の繊細さ、謙虚さ、向上心、分け隔てのない国民性、協調性、練り上げる力は世界に比類なく、信用という言葉をこれほど当たり前に安価に得られる国もない。日本のものづくりはこれからも、進化するだろう。日本発のクラフトビールも同じである。Far Eastのビールもそうあるべく、準備されていく。