HOME ▶ Shachou'S NOTE
Shachou'S NOTE

大阪秋の陣 FAR EAST Inc. Blog

signzoom9カ月ぶりに雑記を認める。この秋FAR EAST BAZAARが大阪に出ることになった。阪急うめだ本店に10/25、程なくしてJR大阪駅のエキマルシェ大阪に10/31に開店する。それぞれ趣の異なる佇まいとなるが、阪急はドライフルーツ専門店、エキマルシェは+塩・スパイス、オリーブ、これにチーズ、アラビアン・ジェラート、caféが新しく加わる。それに伴い「大阪の中の大阪」天満に大阪支社を、さらに渋谷ヒカリエ店から店長、副店長が両店に散り、最強の布陣を構えることになる。そして親方の佐々木君は裏方の品出し係に奔走するというわけだ。店の什器は、北米・カナダ国境辺りのアーミッシュの手により解体された1世紀以上は前の納屋から採ったヴィンテージ・ボードをベースに、エジプトの彫金作家による真鍮金物がこれを彩る。頭上には、これまた素生のわからぬアンティークやランプがぶら下がり、所狭しと色とりどりのフルーツやら何やらが眼前を覆い、あとは艶やかな女子達が威勢よく商えば、賑々しいバザールが出来上がるのである。震災直後の二子玉川第一号店からこの春のヒカリエ店、そして来月関西でFAR EAST BAZAARの第二幕がいよいよ上がろうとしている。我社の社訓「ON THE EDGE」、一緒に崖っぷちを歩く人この指とまれ…オソロシヤ、イソガシヤ…

Be ambitious FAR EAST Inc. Blog

12月18日、路面が凍てつき、雪が舞うなか飯能発一行17名は車6台に分乗、南三陸町の歌津・田の浦へと向かった。この日は隣町の青梅から初参加した「行列のできるラーメン屋」が豚骨ラーメン200食を、定食屋がモツ焼を浜の番屋で振る舞った。冷たい浜風が厳しく吹き付けるなか黙々と炊き出しの準備をしていると、3人の婆ちゃんが寄ってきて「まだ一度も物資をもらってねェの」と謂う。相も変わらず「屋根だけ残った家」の被災者には「支援物資」を受け取る「資格」がないということだ。この日の支援物資は、湯たんぽ、ストーブ、ネックウォーマー、カイロ、毛布、布団、冬服、餅、そば、酒、調味料、お菓子のほか洗剤、ティッシュペーパー、コタツ、自動車、チャリンコと相変わらず幅広い。津波の被害が甚大であったこの浜には被災した人たちが朝早くから待ちかねてズラリと並ぶ。先の婆ちゃんは、こうした場合大抵出遅れてしまい、何を貰おうかと迷っているうちに物資を取りそびれてしまうので、少し場所を外して婆ちゃんには優先的に配ってみるが必要以上には取らない。その後浜で一斉に配ったときには、案の定何も取れていない手ブラの婆ちゃんの姿があった。「前に貰ったから今日はいいの」と譲る若い奥さんもいれば、物資を取りに来れない近所の年寄りの分を必死にかき集める漁師もいる。「卑しさ」などとは無縁の「必死の争奪戦」と「誇り高き譲り合い」が繰り広げられ、ひと段落つけば、皆一様に満足気な面持ちで「ありがてェ」と謂い、そろそろとラーメンの行列に並ぶ。浜風が容赦なく吹き付けるなか文句一つ謂わずに並び、ようやく順番が回ると、悴んだ手で身体を震わせながらラーメンをすすり、「ウメェ、ウメェ、まんずありがてェ」と皆口々に謂う。ラーメン屋の主人もご満悦だ。ここではラーメンを作ると感謝される。美容師がいつものように散髪をすれば感謝され、運送屋も物を運べば感謝される。感謝など望むはずもないのだが、兎に角ここでは「ありがてェ」のである。この浜には3度の大津波が襲い、防波堤、神社、ワカメ御殿などが根こそぎ流され、17名の命が奪われた。暫くすると網を張り直していた漁師達が船から降りてきた。この浜の復興にまで援助の手は届かない。自力で浜を再生するしかないのである。15軒の漁師達がすべて持ち出しでやるより他ない。今自分に出来ることしか考えない覚悟を決めた鋭い眼差しが印象的である。ラーメンをすすり終えた漁師の父さんが「津波の脅威」を噛みしめるように呟く。子供の頃から遊んだ海は今も蒼く美しい。「この海があんな事するんだもんねェ」と長老の漁師が謂う。「今度はいつ来るの?」と謂いながら、僅かばかり獲れたワカメと津波を逃れた畑で採れた野菜を無理矢理手渡し「万分の一でも・・・」と譲らない。「今度来てくれた時は、ぜんざい作っておくからね」と母さんが謂う。菊農家の爺ちゃんはたった独りで他県へ果敢に売り込みをかけると謂う。「若けェうちにやらねばな」「あんたァ、幾つだと思ってんのさ」「明日よりは今日の方が若けェもんな」。絶望の淵から希望が湧き、寒い浜で「想い」と「思い」が交錯する。

IMGP6403IMGP6378IMGP6375

IMGP6340IMGP6350IMGP6388

忘れじ・・・3.11 FAR EAST Inc. Blog

11月20日の被災地は予報に反して好天となった。現在、被災地へ向かうボランティアはピーク時の10分の1とも謂われる。なるほど東北道の国見や菅生のPAに停まる車両にも、一頃は溢れかえっていた「救援物資輸送車両」「災害支援」などの印が見当たらない。三陸道も詰まることなく、被災地にもその影はあまり見当たらない。今回は美容師7名、魚屋主人、饅頭屋主人、運送屋会長と専務、コンビニ店長、植木屋親方、老人介護施設所長、フリーター、FAR EASTスタッフなど総勢18名が車6台に分乗して行ったが、被災地でこういう隊列は今はほとんど見かけない。時は経ち、ニュースネタとしては色褪せ、瓦礫は片付き、避難所は閉鎖され、馴染みのない隣人同士が仮設住宅になんとなく収まり、有志による炊き出しも見なくなった。自治体の「御触れ」によると「仮設住宅に物資を届けるのは被災者の自立を妨げるので控えてほしい」とのこと。「被災者を鍛えよう」とでもいうのか。仮設に入れば食糧支援もなくなる。けれど身入りはない。四角四面の物言いに逐一反論するほど暇ではないが、どのくらい高い位置から見るとそういう考えが湧くのか知りたいものだ。今でも南三陸町歌津・田の浦地区は十分な支援が受けられていない。この辺りの船も漁場も漁具もなくした漁師によれば、3.11以来国からの支援金は3万円にすぎないという。これも氷山の一角。ボランティアでさえも飽きてくると色々発案して、被災者の意と乖離しながら、趣向を凝らした支援(?)をやり始める。実際には被災者が必要とするものはそこまで大きく変わりはしない。被災直後に彼の地に足を踏み入れた折に聞いた「忘れないで欲しい」の声が今も耳に響く。忘れられず、整理のつきようもない被災者の心はなかなか変わらない一方で、被災地はどんどん整理され、人々の関心も離れ、爪痕が消えていき、そうするうちにまた寒い冬がやってくる。今年の冬は被災地にとって切なく、悲しく、いつにもまして寒い冬となる。日本は過去に壊滅的な状況に追い込まれながらも復興・発展を遂げてきた。原爆に薙ぎ払われた広島も、空襲で焼き払われた東京も、その後驚異的な復興を遂げた。後ろばかり見ないで、前を見て歩くのは勿論であるし、悲しみに浸っている暇はないと謂うならそれもそうだろう。懸命に活路を探る被災者には今でも勇気をもらう。当事者でない者が出来ることなどどれほどのものでもないが、今回の震災を心に刻み付けて、決して忘れず、未来を担う子供たちにも伝えていくことが重要なのは謂うまでもない。remember 3.11

いろはにほへと… FAR EAST Inc. Blog

kouyouここ飯能は、すっかり秋めいてきた。この時期飯能は特に様子がいい。山々にはわざとらしいまでに葉が色づき、澄んだ空気も実に美味しい。この四季の移ろいの折々に織り成す模様が斯くも美しく、風情があり、そしてそれを愛でる文化があることを佐々木君は日本人として誇らしく思うのである。砂漠は砂漠でいい。ヒマラヤも神々しい、モルディブも息を呑むまでに美しい。それぞれに甲乙などつけようもなく素晴らしいのだが、人が生きる上で避けることのできない「移ろい」、つまり変わりゆく様を、季節などというもので、この日本ほど美しく表す場所を他には知らない。

いろはにほへと ちりぬるを(色は匂へど 散りぬるを)

わかよたれそ つねならむ(我が世誰ぞ 常ならん)

うゐのおくやま けふこえて(有為の奥山 けふ越えて)

あさきゆめみし ゑひもせす(浅き夢見じ 酔ひもせず)

この「いろは歌」の「いろは」を「色葉」とする説もあり、空海、或いは柿本人麻呂が作ったのではとか、暗号として使われたとの俗説もあり諸説紛紛であるが兎に角最も知られた「手習い歌」にして「諸行無常」を見事に表す歌なのである。

東日本大震災では、多くの人が「確かなはずの」家族も家も船も職場も失った。「アラブの春」でムバラクが失脚し、飛び火してカダフィまでもが身罷った。アフリカ中を植民地化した大英帝国はじめ欧州の列国も「黄昏のヨーロッパ」となり、嘗ての世界2位の経済大国日本もバブルの響きが今は懐かしい。方丈記「よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて…」などは、何人の人生にも如何なる事象にでも当てはまる。

秋になると佐々木君は、仕事をしているふりをしながら会社の窓から見える山々をみてはこんなことを考えるのが常となっている。いとをかし・・・

She is a man. FAR EAST Inc. Blog

ウガンダの友人SAM君のお父ちゃんは二人の奥さんを持っている。所謂一夫多妻。SAM君の兄弟は異母兄弟を合わせると25人にもなるそうだが、全員の名前なんか知っちゃいないそうだ。一夫一妻が当然の国民から見れば羨ましくさえ映るもんだが、案外そうでもないらしい。国や文化が違っても「女は女」。第一夫人、第二夫人の間を優雅に渡り歩くはずのダンナは、嫉妬の火炎放射を浴び、家族からも非難の集中砲火を浴びるということだ。かなり前になるが「ウガンダの唾」で登場した友人Muwangaは、二人の妻と16人の子供がいるが、この話になると「そりゃ大変のなんのって」「難しいなんてもんじゃねェよ」と必要もないのに声を潜める。そんなに羨ましい話でもないのが実情ということらしい。前述のSAM君は法律上は複数の女性をお嫁さんにすることができるもの、哀れなお父ちゃんの姿が脳裏に焼きついている為「冗談じゃねェよ」ということだ。

ニイサンここウガンダでは、上記のとおり一夫多妻はいいけれどゲイは認められていない。あんなに優しいSAM君も「死刑でもしょうがない」というほどこの国では「イケナイコト」だという。インドでは「オカマ」なら地域にもよるけれど「ヒジュラ」といって特殊なカーストとして生きる道があり、宗教的な祭礼で重要な役割を果たす。止血なしの男根切除術など危険な去勢手術が行われる。タイ辺りでは性転換手術が盛んに行われるものの途中で予算が尽きてしまい、巨乳にして筋骨隆々、ミニスカートから美しく延びる足+剛毛というケースも少なくない。ある時イスラエルのテルアビブのカフェでビールを飲んでいたら、仲睦まじく、手を繋いでスキップしてくる大男が続々と現れ始めた。そこはゲイ専門カフェ。ブランコに仲良く揺られる筋肉マンカップルが見た目に美しくない。見る見るうちに辺りはその筋のニイサン達がひしめき合っているではないか。アムステルダムにも引けを取らないゲイ天国だ。直前にゲイが経営するショップでそれっぽいシャツを買って着ていた佐々木君の傍らにいた知人がやはりその筋の人だった為、間違いなく佐々木君もその筋であると思われていたに違いない。断っておくが佐々木君はStraightだよーん。

お互い様 FAR EAST Inc. Blog

昨日の支援物資輸送は総勢23名が車8台に分乗していった。参加希望者が段々と増えてくる。美容室の主人はこの日店を閉めてスタッフ全員7名での参加。それに行列のできる饅頭屋、廃棄物処理業、魚屋の主人達が隣町から参加、運送会社の会長と専務、議員2名、アメリカ人記者やスェーデン人等々多彩な顔ぶれで各々個性の強い面々ではあるが、明確な目的のもとしっかりまとまるものだ。震災前はホタテやワカメ漁で隆盛を誇った南三陸の漁師達によってこの日、震災で亡くなった犠牲者を弔う法要が港や浜で一斉に行われた。妻子を亡くした者、家や船を失った者、或いはほとんどすべてを失った者など皆それぞれの想いのなか弔いに集まった。やがて法要が終わると物資配布所へと集まってくる。何度か同じ顔に会うにつれ、各々の事情がわかってきたりもする。いつも下ネタと冗談ばかりの漁師が実は妻子を亡くしていたりする。支援者が「どうぞ」と物資を勧めれば「いらねェ」と言う。つい悪気もなく「奥さんと子供にどうぞ」と物資を手渡せば即座に「死んだ」と返す。支援者のなかにははこうしたやり取りに心を痛めたりする者もいる。ここでは皆が何かを失い、絶望したり、不安であったりするなか必死で生きている。各々の事情を察してはいても障りのない言葉を選びきることなど難しい。案ずるよりも皆一心不乱に足りない物資を補給することに専念している。この支援物資輸送プロジェクトに初参加した者は一様にその活気に驚く。さながらバーゲン会場のようでいて、あのような醜態は見られず、秩序が保たれ、被災者達が嬉々として満足する様にである。あちらこちらで笑い声も響く。コンビニ店長はソフトクリームの機械を持ち込み作ってみせる。これには爺やも婆やも漁師もワラシも皆嬉々として美味そうに味わう。被災者からは「気が済まないから」と野菜や菊農家からは菊が手渡される。それらが大切なものであることを知りながら有難く頂くことにしている。お茶や郷土料理も振る舞われ、座卓を囲んで被災当時の話に聞き入る。73歳の漁師の顔役が「漁ができるようになったらいつかお返ししたい」「いつかあんた達が困ったら俺達が助けっからな」「こういう協力って、いいな」と何度も謂う。そう思う。感謝の気持ちなら誰に返したっていい。「困った時はお互い様」だ。

ice8ice7ice1ice4ice5

haircut2haircut1haircut4haircut3ice9ice6

Thank you ! FAR EAST Inc. Blog

7月9日土曜日も被災地は暑かった。それでも皆炎天下に首を長くして待ってくれていた。「暑いなか御苦労さま」「遠いところありがとう」「感謝します」「涙がでそうです」「帰りは気をつけてね」等々これらの言葉には少々の疲れなど払拭してしまう力がある。我々一行も7カ所の物資が届かない集落と老人保健施設に物資を配り終えた夕方には南三陸町のボランティアセンターへ出向き、公務を全うする警察官、消防隊員、自衛官や一日の作業を終えたボランティア諸君を甘い菓子などで迎え、「御苦労さま」と労えば、我々自身もかき氷や冷たい水で癒してもらったりもする。見ず知らずの者同士がある共通の目的で意思を結束するのも、互いを労い合うのもなかなかいい。「こんなにも日本中が、世界中が助けてくれるとは…」と被災者は口口に謂う。震災翌日、ひもじさと寒さに凍える中、在日米軍のヘリが沖に浮かぶ空母から支援物資を運び空から降りてきたあの光景は一生忘れないという被災者もいた。「神様だよ。神様。」とは、黙々と救援作業に打ち込む自衛隊員に向けられた言葉だ。佐々木君が初めて現地へ足を運んだ頃には、横殴りの吹雪の中道路復旧に、遺体捜索に没頭するあの姿には頭が下がり、手を合わせたものだ。被災地へ出向けばこういった光景をあちらこちらで目にする。道中の福島の国見PAの食堂には「赤ペン先生」なる御仁がいて、被災地に救援へ向かう各々が綴る雑記帳に必ず返事を書いてくれる。赤ペン先生の一言は実に味わい深く、優しい。おそらく何処かの出版社が目を付けるに違いない。失意や不安や悲しみが覆うなか、善意と感謝が繋がり実を結び、いつしか闇を劈くこともあると信じられる光景が其処此処にある。「ホントに…日本人はすごいね」という半壊家屋の奥さんの言葉が今も耳に残る。今回の震災を通じて、いろいろあるけれど「日本人に生まれてきたことを誇りに思う」と佐々木君は考える。IMGP3049

繋がる思い FAR EAST Inc. Blog

deliveryoceanfront2「何かをしたい人たち」に焦点を当ててみる。19日(日)は16名中10名が初参加という顔ぶれが車5台に分乗して被災地へ向かった。地元飯能のS運輸が4トンユニック車で自転車24台を運ぶのを買って出た。都合5箇所の被災地へチャリンコを運んだ訳は、これまでにも各方面から寄付されてはいるもののそのほとんどが未だ被災者の元には届いてこなかったことから直接余計な手続きを介さずに被災者に渡してしまおうというもの。何せチャリンコは燃料、車検、税金が要らない。三陸の狭く入り組んで崩れた小道をチャリンコ満載のデカイ車体でスルスルと抜けていく様が実に勇壮だ。この自転車集めには60を超えたシニア達が奔走し、今回は満を持しての同行。さらに地元美容師3名が手を挙げ同行。仮設住宅の広場に皆で手際よく「仮設美容室」を開店。6時間連続で1人当たり14名のカットを終え、皆清々しい面持ちだ。「行列のできる饅頭屋」の社長に大工にアイスホッケーの兄貴は、瓦礫の間を走り回り、支援物資到着の声掛け、配布、配達と大活躍で、これにFAR EASTの4名に「タイムズのおじちゃん」ことTAKEDAという布陣。24時間の間にダァーっと行ってダァーっと帰ってきて翌朝からダァーっと働く。そもそもこの輸送作業以前に「何かしたい気持ちをカタチに」と心のこもった支援物資を提供する皆の「善意」があって、それを無駄にはすまいとせっせと通っては黙々と仕分作業に没頭する人がいて、さらに続々と寄せられる支援物資に一斉に集まっては一気に仕分ける地元シニアや女性陣の貢献度は実はかなり大きい。毎回毎回いろいろな顔ぶれが参加し、皆一様に被災地の惨状に息を呑み、一心不乱に支援活動に没頭し、帰ってきては周囲に語り始める。こうして「支援の輪」が次第に広がっていく。「いいオトナが」これだけ集まれば、余計な摩擦やつまらない亀裂が生じたりするものだが、此の期に及んでは、皆の「目的」に違いもブレもなく、普段は繋がりはおろか面識さえない面々が一堂に会し、同じ目的に向かい汗をかく。ここにきてようやく「何かをしたいけれどきっかけがなかった人たち」に出番が廻って来ているように思う。「今から」でもゼンゼン遅くはない。「これから」も善意は繋がり、必ず実を結ぶ 。

IMGP2781IMGP2935IMGP2784deliveryoceanfrontshiwakedelivery1deliverybathfrontjitensha

孤立 FAR EAST Inc. Blog

一輪車で物資運搬「4畳半に家族4人」「食料支援打ち切り」「孤立」…仮設住宅には仮設住宅なりの問題がある。それでも「多くを期待しない」ならば避難所での集団生活のストレスよりはいいという声もあれば「寂しい」という声もある。いずれにせよ何もかも失ったなかでどちらがマシかという選択を強いられている。行政の不手際が揶揄されるにしても、元はと謂えば生活の糧、自らの生きる場であった「海の仕業」により決して望まぬことを強いられ、やり場のない怒りに苛まれ、「それでも海に生かされているから、海と生きていくしかないものね」と自らを納得させるのである。

震災から3か月が経った。昨日は被災地にも青空が広がり、被災直後の生々しさが徐徐に薄れつつあるように一見映りはするが、その実被災者の窮状に変わりはなく、最早命の危機を脱した今、真綿で首を絞めるように不安と実たる生活苦が襲う。家や家財道具が残ったとしても「実入り」がない。船も工場も店も会社もみな波が攫っていった。今僅かに残った財産も直に「なくなる日」が来る不安に苛まれるのである。

IMGP2654昨日6月12日(日)の「支援物資輸送」は車4台に皆さんから預かった物資を満載して、土曜日から日曜に日付が変わった深夜1時に飯能を出発、朝9時頃には被災地入りした。大抵の場合1箇所目は、事前に当たりを付けておいて前もって連絡をしてから行く。そこで物資を車から降ろし、いっぱいに広げ、皆さんに必要な物を選んでもらっていると、それを聞きつけ数十人の人が集まってくる。出来るだけ多くの被災者に行き渡るよう時間と分量を配分しながら頃合いを見て撤収する。この間被災者から他の窮状や孤立情報を聞き出したり、道すがら車を停めて尋ね回りながら最新情報を集めては次の「孤立避難者」のもとへと向かう。そうして5箇所ほど巡るうちに夕方頃には物資がなくなり帰路につく。到着は日曜から月曜へ日付が変わる深夜になるが、これだと月曜朝から仕事に着けるので支援活動を続けやすい。

こうして所謂「孤立」情報を集め、「孤立避難者」を探し当てては物資を届けるという作業を繰り返すにつれ「孤立」にも様々な事情があることが見えてくる。「壊滅」してはいるものの被災規模(人数、戸数)が他より大きくはなく、マスコミが求める「派手さ」に欠ける為、採り上げられずに世間に知られることもあまりなく、結果「支援」が入らない場合などはその最たるもの。或いは、こんな話もある。海から離れた高台にある部落には、その足元まで津波が押し寄せた。凍て着く寒さのなか濡れた身体で下の部落から命からがら逃げのびて「なんにもなくなってしまった」「洗濯してなくてもいいから着替えが欲しい」と乞う隣人たちに衣類などありったけのものを分け与えた人たちがいる。後日救援物資が配られていると聞き、今度は自分が「分けてもらう番」だと思えば「アンタは家が残ってるから駄目」だと断られる始末。家が残った為に「資格なし」とさえ謂われ、結果「孤立」していく。こういった部落には今も物資が滅多に届かない。3か月経った昨日でも「こんな支援物資初めてだよ」と謂う。物資を手渡そうとすると「俺たちにはもらう資格ないから」と引き下がるほど卑屈になってしまう場合さえある。一方、津波が引いた直後に押し寄せる隣人を頑なに断り、その後村八分になった人もいる。非情であったのか、余裕がなかったのかは知らないが兎に角そういった「孤立」もあるにはある。田舎ならではの村社会の事情などは、それよりは幾分都会の埼玉に暮らす佐々木君には知る由もないが、こういった「孤立」によって二次的な「苦難」に喘ぐ被災者もいることは書き留めておく。ある有名なボランティアグループに「俺達が配っていない所はない」「物が足りない人も、お腹が空いている人もいない」「売ってやるぐらいで丁度いい」と謂う人がいるが、実際には「彼ら」のことを知らない人もいれば、物もなく、食べ物も我慢し、買う金などない人は山ほどいるのが実情だ。必要なものが「物」から「金」「仕事」へ移りつつあると囁かれるなか、未だその「金」も「仕事」もない人がいることも忘れてはなるまい。

無常 FAR EAST Inc. Blog

tsunami no ato被災地には次第に灯りがともり始めている。灯りのある生活は「別世界」だという。途上国では電気、水道、ガスなどのない生活は「日常」でしかないが、ここは「日本」、川の水を汲み上げ、下水処理はなく、夜は闇の中などというのは「文明人」は知らない世界だ。便利なものなど「あってもなくてもいい」という「境地」は確かに「自由」だとしても、大半の日本人にとっては「あったものがなくなる」ことが「小事」ではすまない。「所有すること」「持つこと」が「自由」を獲得する訳ではないことなど今更謂うまでもないが、「持たざること」の「自由」もただそれだけでは成り立たない。「欲しくない」ことが伴わなければ「持たざること」「失うこと」は「不自由」でしかない。「形あるものはいつかなくなる」という「無常」の概念は、四季が織り成す模様の「移ろいゆく」様を謳うことのできる日本文化の底流にこそあれ、現代日本人にとっては、身の周りのものが「あって当り前」となっているのは否めない。形のない人の「心」が移ろいゆくのは誰もが実感するところだが、この世のものはすべて「常ならざる」ことを今回の震災が皮肉にも改めて教えたかたちとなったようだ。

ドカ食い震災関連の内容が続いたのでこの辺りで一旦普段の調子でいってみよう。他でもない「田舎系S子」ネタ。S子の「店長株」は急上昇中で慈悲深いお客様からはたいへん御好評を頂いている。破談から東京人化を目論んでいたS子だが、「格安」求婚クーポン(5000円お買い上げで1枚)を発券中にも拘わらず、未だ5000円の値打ちがつかない。手があがらないのでは競りにもかけられない。ウガンダの「牛13頭」はおろか5000円の最低入札額にしても勿体無いというのが判明してしまった。休むことを知らずにモーレツに働き続けるS子を見て周囲は感心するものの、声をかけると例によって意味不明の語り口にして、最近ではさらに息継ぎなしでしゃべり続けるので強烈に暑苦しい。折角飲みに誘っても仕事の話しかしないので男子は面白くも何ともない。5000円は勿体無いけど、タダならいいかと、押相撲一辺倒のS子を狙う物好きの方にS子攻略の秘策をひとつ教えよう。S子以上の激務と薄給に耐え得る「肉食系男子」であることは最低条件としても、「掃除」「片付け」の概念を持たないS子の身の回りの世話を続けることを厭わず、深夜に帰宅するS子を待ち続けた揚句に仕事の話を延々と聞き続けられる忍耐力くらいは必要と考えていい。「それでも僕は」と志ある者は既に最初の関門を突破している。クワバラ クワバラ…。