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孤立 FAR EAST Inc. Blog

一輪車で物資運搬「4畳半に家族4人」「食料支援打ち切り」「孤立」…仮設住宅には仮設住宅なりの問題がある。それでも「多くを期待しない」ならば避難所での集団生活のストレスよりはいいという声もあれば「寂しい」という声もある。いずれにせよ何もかも失ったなかでどちらがマシかという選択を強いられている。行政の不手際が揶揄されるにしても、元はと謂えば生活の糧、自らの生きる場であった「海の仕業」により決して望まぬことを強いられ、やり場のない怒りに苛まれ、「それでも海に生かされているから、海と生きていくしかないものね」と自らを納得させるのである。

震災から3か月が経った。昨日は被災地にも青空が広がり、被災直後の生々しさが徐徐に薄れつつあるように一見映りはするが、その実被災者の窮状に変わりはなく、最早命の危機を脱した今、真綿で首を絞めるように不安と実たる生活苦が襲う。家や家財道具が残ったとしても「実入り」がない。船も工場も店も会社もみな波が攫っていった。今僅かに残った財産も直に「なくなる日」が来る不安に苛まれるのである。

IMGP2654昨日6月12日(日)の「支援物資輸送」は車4台に皆さんから預かった物資を満載して、土曜日から日曜に日付が変わった深夜1時に飯能を出発、朝9時頃には被災地入りした。大抵の場合1箇所目は、事前に当たりを付けておいて前もって連絡をしてから行く。そこで物資を車から降ろし、いっぱいに広げ、皆さんに必要な物を選んでもらっていると、それを聞きつけ数十人の人が集まってくる。出来るだけ多くの被災者に行き渡るよう時間と分量を配分しながら頃合いを見て撤収する。この間被災者から他の窮状や孤立情報を聞き出したり、道すがら車を停めて尋ね回りながら最新情報を集めては次の「孤立避難者」のもとへと向かう。そうして5箇所ほど巡るうちに夕方頃には物資がなくなり帰路につく。到着は日曜から月曜へ日付が変わる深夜になるが、これだと月曜朝から仕事に着けるので支援活動を続けやすい。

こうして所謂「孤立」情報を集め、「孤立避難者」を探し当てては物資を届けるという作業を繰り返すにつれ「孤立」にも様々な事情があることが見えてくる。「壊滅」してはいるものの被災規模(人数、戸数)が他より大きくはなく、マスコミが求める「派手さ」に欠ける為、採り上げられずに世間に知られることもあまりなく、結果「支援」が入らない場合などはその最たるもの。或いは、こんな話もある。海から離れた高台にある部落には、その足元まで津波が押し寄せた。凍て着く寒さのなか濡れた身体で下の部落から命からがら逃げのびて「なんにもなくなってしまった」「洗濯してなくてもいいから着替えが欲しい」と乞う隣人たちに衣類などありったけのものを分け与えた人たちがいる。後日救援物資が配られていると聞き、今度は自分が「分けてもらう番」だと思えば「アンタは家が残ってるから駄目」だと断られる始末。家が残った為に「資格なし」とさえ謂われ、結果「孤立」していく。こういった部落には今も物資が滅多に届かない。3か月経った昨日でも「こんな支援物資初めてだよ」と謂う。物資を手渡そうとすると「俺たちにはもらう資格ないから」と引き下がるほど卑屈になってしまう場合さえある。一方、津波が引いた直後に押し寄せる隣人を頑なに断り、その後村八分になった人もいる。非情であったのか、余裕がなかったのかは知らないが兎に角そういった「孤立」もあるにはある。田舎ならではの村社会の事情などは、それよりは幾分都会の埼玉に暮らす佐々木君には知る由もないが、こういった「孤立」によって二次的な「苦難」に喘ぐ被災者もいることは書き留めておく。ある有名なボランティアグループに「俺達が配っていない所はない」「物が足りない人も、お腹が空いている人もいない」「売ってやるぐらいで丁度いい」と謂う人がいるが、実際には「彼ら」のことを知らない人もいれば、物もなく、食べ物も我慢し、買う金などない人は山ほどいるのが実情だ。必要なものが「物」から「金」「仕事」へ移りつつあると囁かれるなか、未だその「金」も「仕事」もない人がいることも忘れてはなるまい。