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Once upon a time in Ikebukuro North Gate Underworld FAR EAST Inc. Blog

池袋昔話をひとつ。20歳の頃の佐々木少年は池袋で風俗嬢やヤーさんの晩飯や夜食を配るアルバイトをして印度への渡航費用をセッセと貯めていた。あの当時の池袋北口から延びる「平和通り」はその名に反して暗黒街のような街だった。炊きたての飯に作りたてのオカズがウリの味噌汁付き仕出し弁当を風俗店の支度部屋や暴力団事務所、SMクラブ、ストリップ劇場、AVプロダクションなどに配達するわけだが、その筋のニイサンは機嫌が悪いと弁当投げるし、S嬢のネェサンは意地悪キャラ全開で頼みもしないのにプレイを仕掛けてくる。届けたばかりの弁当と味噌汁をヒモのニイサンが何故かブチ切れてネェサンにぶっかけたこともあった。それでも当時で謂う「トルコ風呂」の支度部屋には訳あり風のネェサンが気だるそうにタバコの煙を燻らせて、チラとこちらに目をくれては「ご苦労さん」と言ってくれた。池袋スター劇場の出前はストリップをタダで見れるのでウハウハして行ったもんだが、照明のオッサンや楽屋で控えるネェサン達がいつも優しかった。印度から帰ったばかりでキタナイ佐々木少年を憐れんでホームレスの爺様が腐った赤飯をくれたのには心が温まったものだ。いろんな事情が渦巻いていた池袋北口界隈は、怪しく、猥雑ではあったが、それでいて魅力的な街でもあった。しかしそれもいつしか風営法、暴対法の頃から鳴りを潜めて普通の街になった。弁当屋の主人の口癖「イヤ~不景気だ、最悪だ」が今となっては懐かしい。たまにあの界隈を車で通り過ぎるとギラギラして灰汁の強かった当時を振り返っては懐かしくも気恥ずかしい想いをしたりする。FAR EASTでは出入業者さんには常に丁寧に対応することやねぎらいの言葉をかけることがルールとなっているが、それがあの頃あの人達にかけられた優しい言葉に由来していることはあまり知られていない。あれから20数年経つが何一つ当時想い描いていた将来像と一致していないのには我ながら感心するが、この先もきっとそうに違いないと想いながら希望に燃えているのである。